「老人」観の変転 2
国民の祝日としての「敬老の日」の趣旨は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことです。
しかし、この「敬老の日」を制定した昭和23年の日本人の平均余命はほぼ60歳です。
まだ「人生80古来稀なり」という格言が真実味を帯びていた頃の話しです。
大部分の人が人生80年が当たり前になれば、その長寿の意味は複雑になります。
「敬老の日」に、寝たり老人に「座ぶとん」を祝いの品として届けた自治体がその純感さと画一さで嘲笑をかったことがありますが・・・
寝たきりのまま生きつづけている老人を長寿者として祝う意味はなにか、より根本から考えなくてはならなくなったのです。
「老いを人間らしくまっとうする」とはどういうことかを本人も周囲も深く考えなければならなくなったのです。
どの自治体でも高齢社会への対応施策の基礎を「長生きは幸せ」とする考え方にすえていることを想起すれば、わたしたちは、どうやら、「非人間」化した老人を最後まで人間として遇する態度と行動を断固としてとりつづける決心をしなければなりません。
それは、ときに修羅場を覚悟し、それを支援するシステムをお金をかけて用意することを選択することを意味するはずです。
財政面からのみ考えれば、老人たちを収容施設に入れて非人間的に扱うほうが圧倒的に安上がりなのです。
それを拒否し、施設福祉も充実させながら在宅福祉を確立していき、わたしたちが納得できるような扱いをしようと考えるならば、労力とお金はとてつもなくかかるのであり、その負担を自ら引き受けることを決意しなければならないのです。